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サン・クエンティン州立刑務所 – San Quentin State Prison




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サン・クエンティン州立刑務所(San Quentin State Prison)とは、アメリカ合衆国カリフォルニア州マリン郡内にある刑務所のこと。設立されたのは1852年7月、州内では最も古い刑務所である。場所はサンフランシスコの北部に位置し、面積はおよそ1.78平方km。また、死刑囚も収監されており、死刑執行用のガス室があるが、近年実施された死刑においては致死量の薬物を注射する形式で行われた。

写真上は、サンクエンティン刑務所の薬物注入式死刑執行室。左下は現在は使われていないガス式死刑室。右下はサン・クエンティン刑務所俯瞰図。『MACHETE KILLS』の俳優ダニー・トレホや、殺人鬼リチャード・ラミレズが収監されていた刑務所でもある。またロックバンドのメタリカの曲『セイント・アンガー』に登場するオフィシャル・ミュージックビデオは、サン・クエンティン刑務所で撮影され、登場する人は全て本物。

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1980年代にロサンゼルスを恐怖に陥れた13人連続殺人死刑囚「ナイトストーカー」「峡谷の侵入者」リチャード・ラミレズが死去


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  1. 1980年代にロサンゼルスを恐怖に陥れた「ナイトストーカー」「峡谷の侵入者」リチャード・ラミレズが死去 | ロサンゼルス発 ジャパラマガジン®

    […] © TonyBarnard © LennoxMcLendon(AssociatedPress) / LAPD 1980年代半ばに南カリフォルニア各地で13人を連続殺害し、ロサンゼルスを恐怖のどん底に陥れ、「ナイトストーカー」「峡谷の侵入者」などと呼ばれた全米初のシリアルキラー、リチャード・ラミレズ(53歳)が、死刑執行を待たずして、今朝、2013年6月7日、マーティン総合病院(Martin General Hospital)で死去した。 リチャード・ラミレズについては、ジャパラでも以前、「謎の変死を遂げたエリザベス・ラムさん事件とロサンゼルス・ダウンタウン「セシルホテル」の血塗られた黒い歴史」で取り上げているアメリカ史上初かつ史上最悪の連続殺人犯だ。 ラミレズは、1984年から1985年にかけて、ロサンゼルス郊外を舞台に、無差別に民家を襲撃し、暴行、レイプ、拷問、強盗、殺害を繰り返した、13人を殺害。30件の殺人未遂などを含めた被害者数はさらに多くなる。被害者には子供も含まれてた。その手口は残虐を極め、手足を手錠などで拘束して「悪魔万歳 ( Heil Satan ) 」と叫ばせながらレイプしたり、被害者をめった刺しにしたり、頭部に複数発の銃弾を撃ち込んだり、8歳の少年や60~70代の女性までレイプ・殺害している。また遺体の中には、喉を切られたり、目玉が繰り抜かれていたり、焼かれていたものもあった。また被害者にアジア人も多く、日系人のデイル・オカザキさん(当時34歳)も含まれてる。この年の夏は猛暑だったにもかかわらず、ロサンゼルスの全住民が震え上がり、ドアも窓も締め切って過ごしたという。またラミレズからの護身のために銃の売り上げが飛躍的に延びたとも言われている。 1960年2月29日生まれのラミレズは、9歳から万引き・窃盗を繰り返し、14歳からマリファナを吸引しはじめ、常にひとりで行動していたという。高校でヘヴィメタルに傾倒し、悪魔関連の書物を読み漁る。1982年から1983年にサンフランシスコの女友達の家出過ごし、ロサンゼルスに戻るも、ホームレスのため、スキッドロウエリアで過ごした。コカイン、マリファナ等のドラッグを常用、コーラやジャンクフードを常食、ナイフや銃に異常なほどの興味を示し、自らを悪魔崇拝者と標榜していた。 最初の殺人は、ロサンゼルス郡刑務所を釈放されて間もない1984年6月28日。イーグル・ロックのアパートへ押し入り、79歳の女性をめった義理にして殺害。遺体はひどい損傷状態で、首が皮一枚で繋がっている状態だったという。その後、8月24日までの約2ヶ月間で13人を惨殺。FBIは、200人を超える捜査員を捜査にあたった。 1985年8月31日、自身が指名手配されていることを知らなかったラミレズがコンビニエンスストアに入ると、周囲の人間が自分を見ていることに気付いた。ラミレズが、レジにあった地元紙の全てに自分の顔写真が掲載されているのを見つけた瞬間、客の女性が「殺人犯よ!」と叫んだため、彼はパニックを起こして逃げ出した。その頃、同じヒスパニック系であることから差別などを受け、怒りにふるえて殺気立っていたヒスパニック系住民らは、街中を走り回ってラミレズを追い立てて身柄を押さえた。最終的に、住民からリンチ寸前になって、命乞いをしていたラミレズを、警察が逮捕した。 ラミレズは、裁判で死刑判決が下されると、高笑いしながら「ディズニーランドで会おう!」と叫んだという。ディズニーランドは、「デス・イン・ランド(DEATH IN LAND)」を意味する刑務所のスラング。その後ラミレズは、1996年に、彼の熱狂的なファンであり、獄中のラミレズに1985年から10年にわたって75通の手紙を送っていたフリーライターの女性ドリーン・リオイと獄中結婚し、サン・クエンティン州立刑務所内で結婚式をあげている。 そんなアメリカ史上初史上最悪と言われた連続殺人鬼リチャード・ラミレズが今朝、遂にこの世を去り、やっとあの忌まわしい悪夢のような事件が終わったと安堵するロサンゼルス在住者の声が聞かれている。 ※下記リンク先のドキュメンタリー番組では、ラミレスの幼少期の友人らのインタビューもあり、彼が実際にどんな人間だったのかを取材していますが、殺害現場写真等も含まれるため、閲覧には十分ご注意ください。 「キラードキュメンタリー – リチャード・ラミレズ – 生まれながらの殺人者だったのか?」( Killer Documentary – Richard Ramirez – Born To Kill?) […]

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