アフリカの闘う歌姫・ナイジェリアからの使者 NNEKA(ネカ)in ハリウッド・ロサンゼルス


11月3日、ハリウッドのHOTELCAFEで行われた、ナイジェリア系ドイツ人のヒップホップ&ソウルシンガー・NNEKA(ネカ)のライブへ行って来た。1時間押しの開演となった会場は、ほぼブラックアメリカンで埋め尽くされ、満員状態。

デビュー以来、そのルーツである母国ナイジェリアの政治腐敗と、明確な汎アフリカ主義(Pan-Africanism)を訴えてきたNNEKA(ネカ)は、ライブでも独特の緊張感を漂わせる。それは、彼女の歌に描かれる母国の惨状が、今現在も進行形で繰り返されていることと、その犠牲の上にアメリカ市民の生活があるという皮肉な現実によるものだろうか。

アフリカ最大の人口とアフリカ第2位の石油埋蔵量を誇るナイジェリア。その潤沢な石油収入150億ドルのうち、100億ドルが使途不明と言われる政治腐敗には、私たちが日常的に利用する「シェル石油」( Shell Nigeria )などの大手石油会社が大きく関与していると言われ、ナイジェリアの内戦は激しさを増している。奇しくも、ライブが行われたこの日、11月3日にも、ナイジェリア北東部ボルノ州の町マイドゥグリで、政府の治安部隊によって30人以上の市民が不当に「処刑」される事件が発生した。

NNEKA(ネカ)は、アメリカ人が知らない本当のアフリカ、アメリカ人が知りたくないアフリカの真実、逃げたくなるようなアフリカの現実を、目撃者の立場で伝えていきたいと語る。

生で見るNNEAK(ネカ)は、エンターテイナーというよりは人道活動家に近い印象。虐げられた市民の使者として、自らが伝えるべきことを淡々と語り、訴えるような心の叫びを歌に乗せる。オーディエンスたちは、そんな彼女の中に、自分たちのルーツを求め、時に背筋を正すように、その歌声に聴き入る。

そんな様子を見ていると、たびたび引き合いに出されるローリン・ヒルやエリカ・バドゥとは、明らかに異質なモノであることが分かる。それは、彼女の背景に、より切迫した現実的なアフリカの苦悩があるためだろう。彼女と母国が背負ってきた傷が深い分、その歌声は、世界を包み込むような優しさと暖かさに溢れている。と同時に、燃え盛る前の炎のように危うい。

「自分がすること全てに愛を持って取り組め。愛を感じて取り組めないことは止めろ。」と語る彼女。音楽を通して、人権活動家としての自分が世の中に伝えたいことと、本来、批判対象である「アメリカ」に賞賛され、ショービジネスで成功するに従って見えてくる現実との狭間で揺れているようにも見えた。

彼女の母国ナイジェリアでは、国民のほとんどが一日2ドル以下での生活を余儀なくされる圧制に苦しんでいるという。今年2012年1月1日、ナイジェリアの独裁者である第14代大統領であるグッドラック・ジョナサンが、石油の価格や輸送費がほぼ倍になる特別徴収税を課したことに対し、翌2日から市民の抵抗運動がはじまり、同日、16人がナイジェリア警察によって殺された。事件以降、今日に至るまで、ナイジェリア市民による「オキュパイ・ナイジェリア運動」は続いている。一方で、実はジョナサン大統領自身が、西側諸国のある勢力によって操られているともいわれている。さらに今日11月6日、中国最大の製油会社「SINOPEC」が、フランスの石油会社「トタル」から、ナイジェリアの石油鉱区権益を約24億ドルで取得した。

世界中の大手石油会社と現地の独裁政権の癒着によって虐げられるナイジェリア市民。そのガソリンを使って日々生活するボクら。NNEAK(ネカ)は、アフリカの民族・部族の垣根を越えてアフリカの平和を実現するために、このオキュパイ・ナイジェリア運動を戦うと明言している。

NNEAK(ネカ)とは…


「THE UNCOMFORTABLE TRUTH」

NNEAK(ネカ)は、ナイジェリア系ドイツ人のヒップホップ&ソウルシンガー。1980年ナイジェリアのデルタ州ワリ地区に生まれの彼女は、幼い頃から学校や教会で歌いはじめ、18歳になってドイツのハンブルグに移住すると、ハンブルグ大学で人類学専攻をしながら、シンガーとしてのキャリアをスタートする。

2003年からハンブルグのプロデューサーであるDJ FARHOTのもとで活動をはじめ、2004年にハンブルグで行われたショーン・ポールのショーでオープニングアクトを務める。それが大きな反響を呼び、YO MAMAレコードよりEP盤「THE UNCOMFORTABLE TRUTH」を発表するに至る。

2005年4月、パトリック・バート・ウィリアムズとともに、ドイツ、オーストリア、スイスでツアーを行う。同年秋には「VICTIM OF TRUTH」と題したファーストアルバムを発表。同作品は、ドイツをはじめ、イギリス、フランス、オランダ、ナイジェリアのほか、日本でも発売された。しかし、このアルバムは、イギリスサンデータイムズ紙に「犯罪的なほどに見落とされたアルバム」と評される。アルバムのリリース後は、パリやロンドンなどの様々な音楽フェスティバルでパフォーマンスを続け、フェミ・クティ(フェラ・クティの息子)、BILAL、SEEED、ナールズ・バークレイらのサポートもする。

2008年2月、セカンドアルバム「NO LONGER AT EASE」を発表する。同アルバムに収録された作品のほとんどが政治的な内容で、彼女の故郷であるナイジェリアのデルタ州における石油開発による環境汚染、貧困問題や政治腐敗などを語ったもの。「NO LONGER AT EASE」は、サンデータイムズ紙に「ソウル、ヒップホップ、レゲエの勝利的な融合の中で、政治と個人が一体化された作品」と評された。


「HEARTBEAT」

2009年9月に、同アルバムからのシングル「HEARTBEAT」が、ドイツのヒットチャートで50位圏内に入り、イギリスのシングルチャートでも20位に。翌月には、フランス、イタリア、ポルトガルでツアーをし、同年4月には、レニー・クラビッツのサポートも行う。また様々なミュージックアワードにノミネートされ、複数の受賞も。

2009年11月、ニューヨーク、ワシントンDC、ボストン、フィラデルフィア、ロサンゼルス、サンフランシスコにて、はじめてのアメリカツアーを実施。同時に、THE ROOTSのジャムセッションでゲストとして呼ばれる。2010年2月にはアメリカでのファーストシングル「CONCRETE JUNGLE」が発売された。

2010年1月、NASとダミアン・マーレーによるアルバム「DISTANT RELATIVES」のツアーに同行。NASによる「HEARTBEAT」のリミックスを発表。さらに同年、ジル・スコット、エリカ・バドゥ、コリーヌ・ベイリー・レイ、メアリー・J.ブライジ、リアーナとともに、リリス・フェア・コンサートにも参加。2010年にサウスアフリカで行われたFIFAワールドカップの「VIVA AFRICA」も発表。ニューヨークで開催された2010年ナイジェリアンエンターテインメントアワードで、ベスト・インディジナス・アーティストとして受賞している。




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